それはまるで、芸術品のようだった。
テーブルに届いた瞬間、美術館にそのまま置いてあっても違和感がないような、完成された美しい佇まいに思わず息を呑む。
その美しさは、数多くの文化人を虜にした老舗ホテルの洗練された空間と、見事に調和していた。
御茶ノ水、駿河台の高台にある「山の上ホテル」内の喫茶店「コーヒーパーラーヒルトップ」で、麗しのプリンアラモードをいただいてきました。
川端康成ら多くの作家に愛された、御茶ノ水の「山の上ホテル」
「山の上ホテル」は1954(昭和29)年に開業したホテルです。川端康成、三島由紀夫、池波正太郎をはじめ数多くの作家が愛用し、今もなお、多くの文化人を魅了し続けています。
出版社が多く軒を連ねる神田・神保町が近いことから、作家がこもって執筆を進める、いわゆる「カンヅメ」に使われることも多かったそう。
メールもファックスもない時代には、締切前になると、ホテルロビーには原稿を待つ出版社の方々で溢れかえっていたのだとか。
また、かつては芥川賞を受賞した作家たちのほとんどが、受賞後の第一作をこのホテルで執筆していたようです。
クラシカルな雰囲気に背筋が伸びる|御茶ノ水・山の上ホテル「コーヒーパーラーヒルトップ」
山の上ホテルは35室と客室数が少ないものの、7つもの本格レストラン&バーを抱えています。これは、小さなホテルとしては珍しいこと。
天ぷらに中華、フレンチ、鉄板焼き……。それぞれの店舗には、美食を極めた文化人たちの舌を満足させるメニューが揃っています。
今回伺ったのは、山の上ホテルの地下にある喫茶室「コーヒーパーラーヒルトップ」。
ホテルオリジナルの自家製スイーツや、12時間以上かけて抽出した水出しコーヒー、本格的な洋食などを楽しめるお店です。
アールデコ調のモチーフが印象的な階段を降りて、地下へ。館内にある案内に従って歩みを進めると、お店がありました。
ヒルトップは地下にある店舗ですが、外の景色が見えるので閉塞感はありません。
白を基調とした店内は、全体的にクラシカルな印象。背筋をしゃんと伸ばしたくなるような、心地よい緊張感が漂っていますが、堅苦しさはなく居心地のいい雰囲気です。
天井には大きなシャンデリアのほか、小さめの照明がいくつも。夕刻が訪れ、仄暗くなり始めた店内をほんのりと照らしています。
壁には、作家の池波正太郎さんによって描かれた絵画が飾ってありました。
店内には私の他に、スイーツを楽しみにきたであろう女性の2人組に、1人でゆったりとくつろぐ男性、そして仕事の打ち合わせをしているスーツ姿の3人組。
女性2人組と打ち合わせ3人組は和やかに喋っているものの、声のトーンは控えめ。ヒルトップの上品な雰囲気がそうさせるのかもしれません。
伝統のデザート「プリンアラモード」|御茶ノ水・山の上ホテル「コーヒーパーラーヒルトップ」
ヒルトップに来たら、どうしても食べたいものがありました。それは、山の上ホテル伝統のデザート「プリンアラモード」。
コーヒーと一緒にオーダーし、待つこと十数分……。ついに対面!
テーブルに運んでいただいた瞬間、楽しみ過ぎる気持ちが抑えきれず、思わず口元が緩んでしまいました(笑)。
中央手前には、白鳥をかたどったシュークリームに、プリン、バニラアイスクリーム。
その周りをぐるりと取り囲むように並べられたフルーツたち。いちご、メロン、オレンジ、りんご、桃。ラズベリーとブルーベリーが、一粒ずつ。
まるで色とりどりのフルーツが浮かぶ湖に、白鳥が優雅にたたずんでいるかのようです。
(まぁ、これが湖だとしたらぎゅうぎゅう詰めすぎて泳ぎにくそうですが……)
ほっそりとした首筋が美しいスワンシュー。こんなに綺麗だと食べるのがもったいない……とは思わず(食べるために頼みましたからね)、容赦なく首をぽきっと折って、クリームをつけて一口。さくっと軽やかなシューに、なめらかな生クリームは相性抜群。
プリンはしっかりめの食感で、「これぞプリン!」な、昔ながらの味わいでした。
とろりとしたプリンも美味しいけれど、レトロな空間でいただくならやっぱり、昔ながらの固めのプリンですね。
プリンアラモードを食べ終えたあとは、コーヒーを飲みながらのんびり読書。
カップ&ソーサーも華やかで素敵……。真っ白なテーブルクロスに映えますね。
今回私が頼んだのはブレンドコーヒーですが、山の上ホテルでは、水出し・ダッチコーヒーが有名です。
氷を入れた冷水で12時間かけて、一滴一滴ゆっくりと抽出。そこからさらに一晩寝かせ、味をなじませてから提供するスペシャルな一杯だそう。
私は寒がりなので温かいコーヒーを飲みがちなんですが、もう少し暑くなったら、アイスコーヒーを飲みにまた再訪したいですね。
本来の自分を取り戻す場所|御茶ノ水・山の上ホテル「コーヒーパーラーヒルトップ」
山の上ホテルは一度、改装工事のために休業し、2019年12月1日に再オープンしています。
改装の目的は、単純に内装を新しくするためではなく、年月を経て薄れてしまった創業時の「山の上ホテルらしさ」を取り戻し、本来の姿に戻すため。
特徴的なアール・デコ調のオリジナル意匠の復元など、創業当時のエッセンスを参考に新たな空間を創出しています。
ただのホテルでありたい
享楽でもなく、レジャーのためでもない
本来の自分を取り戻すところ それだけのホテルなのです
これは、山の上ホテル公式Instagramで紹介されていた、山の上ホテルの昔の広告コピーです。
外出を控える生活を送るようになってから、早一年。
仕事へ出かけて、会議室で大人数の打ち合わせをして、満員電車で帰宅をする。休日には少し遠出をして、たまには旅行なんかもする——。
当たり前にやっていたことが当たり前にできない日々を送る中で、働き方や暮らし方、プライベートの時間の過ごし方において、「自分は何を求めているんだろう?」「どうすることが、一番自分にとって心地いいんだろう?」と、改めて考える機会が増えました。
「当たり前」が失われたことで、快適になったこともあれば、ストレスになっていることもある。
そうするのが当たり前だったからこそ気づけなかったことを自覚し、自分が本当に求めるものを考えていくこの作業は、「本来の自分」を取り戻す行為のようにも思えます。
歴史を感じさせる洗練された空間、個性的な部屋の数々、そして美食家をもうならせる、美味しいお料理。
山の上ホテルの特別な空間は、日常から離れ、本来の自分を取り戻すのにぴったりの場所でした。
今度は喫茶店だけでなく、宿泊もしてみたい。
本を持ち込んで読書にふけってもいいし、文豪気分で原稿を書くのもいいな。
そんな風に思いながら、ホテルをあとにして、日常へと戻っていきました。
今日のひとこと
中に入って、おいしいものが食べられる、とっておきの名建築ガイド『歩いて、食べる 東京のおいしい名建築さんぽ』。
山の上ホテルをはじめ、建築を愛でながらおいしいものを堪能できる場所が紹介されています。
店舗情報|御茶ノ水・山の上ホテル「コーヒーパーラーヒルトップ」