浅草を復興に導いた”伝説の女将”がいる老舗蕎麦屋「十和田」(すしや通り店)

江戸時代から昭和初期まで、東京随一の繁華街として栄えてきた浅草の地。実は、1964年(昭和39年)に開催された東京オリンピックを境に、いっとき浅草に訪れる人が激減していたことを、ご存知でしょうか。

今回伺ったのは、そんな浅草を見事復興に導いた”伝説の女将”がいる老舗蕎麦屋「十和田」(すしや通り店)です。浅草の歴史とともに、お店をご紹介していきます。

「十和田」の女将さんは、衰退した浅草を復興に導いた立役者

1964年には、社会的に大きな出来事が2つありました。ひとつは東京オリンピック、もうひとつは東海道新幹線の開通です。戦後の日本の復興を象徴する明るい話題でしたが、実はその影響により、浅草に翳りが生じました。

交通網の発達、各都市の発展によって、人流に変化が起こりました。繁華街・浅草に集中していた人出が分散し、浅草にやってくる人が減ってしまったのです。そんな状況を憂い、策を講じたのが”伝説の女将”こと「十和田」の女将・冨永照子さんでした。

浅草で店を切り盛りする女将たちを集めて「浅草おかみさん会」を結成。現在も毎年8月に開催している「浅草サンバカーニバルの」立ち上げ、2階建てのロンドンバス(現在は運行していない)など様々な町おこし企画を立ち上げ、活気ある浅草を取り戻しました。

浅草が地元の筆者は、物心ついたころから「浅草おかみさん会」という名称は見聞きしたことがあったものの、どんな活動をしているのかは知りませんでした。
そして十和田のことも、父や叔父が通っているお蕎麦屋さん、というイメージでした(小さい頃に行ったことがある気もしますが、記憶が曖昧)。

「サンバカーニバルは町おこしの一環で始まったらしい」という情報はふんわり知っていましたが、それを仕掛けたのが十和田さんだとは知りませんでした。街や店に歴史あり、ですね。

有名人のサインがずらり。中には女将のイラストが描かれているものも

十和田2階の座敷席へ。鴨なんばん蕎麦をいただく

さて、前段が長くなりましたが、そんな浅草愛にあふれる女将がいらっしゃる「十和田」さんに、今回行ってきました。(私が行った際には女将さんの姿はお見かけしませんでした)

1階はテーブル席、2階は靴を脱いで座る掘りごたつの席です。今回は、2階の座敷席に案内していただきました。

十和田では、十和田湖周辺の特選南部そば粉を使用した手打ち蕎麦がいただけます。
私はお蕎麦屋さんに来ると、天ざる、山菜そば、鴨なんばんのどれかを選びがちなのですが、今回は鴨なんばんをチョイス。

これがですね、めっっっっっっっっっちゃくちゃおいしかったんですよ……!

くたっとした白ねぎといっしょにお蕎麦をすすると、鴨の香ばしさとほんのりお上品なかぼすの香りが鼻にぬけて、なんとも幸せな気持ちに。鴨のお肉も弾力があっておいしかった。もちろんお蕎麦自体も美味。

お蕎麦や具材を食べ終えたあとも、ちびちびと蕎麦つゆを飲みながら、おいしさの余韻にひたっていました。本当においしかったなぁ……。さすが、歴史ある老舗。

ちなみに、量は比較的少なめです。(小食な私でも余裕で食べられたので)浅草は飲兵衛の町なので、おつまみを食べながらお酒を飲んだあと、〆にお蕎麦を食べる人が多いから量が少ないのかもなー、なんて想像してみたり。

丼モノやお寿司とのセットメニューもあったので、「普段からけっこう食べるよ!」「めちゃくちゃお腹すいてるよ!」という方はそちらも検討してもいいかもしれません。

鴨なんばんがものすごくおいしかったので、再訪したらまた同じものを頼んでしまいそう。でもほかのメニューもきっとおいしいと思うので、いろいろなものを食べてみたいな。そして伝説の女将さんも、今度お見かけできたらいいなと思います。

浅草には老舗のお蕎麦屋さんがたくさんあります。観音通りにある「雷門満留賀」さんもおすすめ。

【店舗情報】アクセス、禁煙/喫煙情報など|浅草「十和田」(すしや通り店)

手打そば「十和田」すしや通り店
住所:〒111-0032 東京都台東区浅草1丁目13−4
電話:0338417375
公式HP:https://g061100.gorp.jp/

※全席禁煙です。
※十和田は今回伺った「すしや通り店」のほか、「メトロ通り店」もあります。

浅草出身のライター。「レトロ」を軸に執筆活動を展開。「和樂Web(小学館)」「びゅうたび(JR)」など各種メディアにて、明治〜昭和の喫茶店文化や食文化にまつわるコラム、レトロスポットの取材記事などを執筆。当Webマガジン「てくてくレトロ」主宰。