私の推しは純喫茶

難波里奈さんの『純喫茶コレクション』の文庫版を読んでいたら、なんだか昔の感情がドバドバ溢れてきてしまったので、書き留めておく。

昔の私は、自分の好きなものが何かわからなくてしんどかった。

過労で会社を休職したときに、好きなことでもして過ごしたら? と周りには言われたけれど、「はて、好きなこと……?」という感じで、なんにも思いつかなかった。

好きなことなんてあってもなくても別にいいんだろうけど、私の場合は「好きなものがあるのはわかるけど、それが見えない」という状態だったので、辛かったのだと思う。視界が欠けている感覚というか、そこにあるけど見えていない、というような。

たぶん、ずっと「やるべきこと」にまみれて生きていて、自分が「やりたいこと」について考えなくなっていたから、わからなくなっていたんだと思う。

そのあと、うっすらとした手がかりから立ち上げたのがこのサイト「てくてくレトロ」だった。
浅草で生まれ育った私は、実家を出るまで気づかなかったけれど、下町の昔ながらの街並みや心がゆるむような雰囲気が好きだった。私は古いもの、懐かしいものが好きなのかもと考えて、レトロなものを集めてまとめるスクラップブックのような気持ちで、てくてくレトロを作った。

その中でも、「純喫茶」が特に好きなものだと気付いたのは、何がきっかけだったかは覚えていない。学生のころはカフェが好きで(今も好きだけど)、何かのきっかけで喫茶店のほうが落ち着くな、と気付いて通い出した……んだったかな? でも、てくてくレトロを作る前から「純喫茶コレクション」のブログのことは知っていたような気がするので(記憶が曖昧だけど)、もしかしたら「純喫茶コレクション」がきっかけだったかもしれない。

自分みたいな若造がピヨピヨ入っていったら嫌がられるんじゃないか、と勝手に怯えて、少し敷居が高く感じていた純喫茶という存在だったけれど、何軒か通ううちに慣れてきて、ものすごい居心地のよさを感じるようになった。

好きなものがわからない、とあんなに嘆いていたのが嘘のように、「あ、私が好きなものはこれだ」とすんなり心に落ちてきて、今では下町さんぽや純喫茶めぐりを楽しんでいる。

今では仕事で喫茶店がらみの文章を書くようにもなったけれど、そもそも純喫茶についてブログを書いたり写真をSNSに載せたりするのは、自分がいいと思ったものを「見て見て!」と人に見せたい、という気持ちからきているのだと思う。アイドルを推している人たちは布教と称して画像や動画をSNSにUPしているけれど、たぶんその感覚と似ているんじゃないかと。私の推しは純喫茶です。

「レトロ」にまつわる執筆活動をメインにしたのも、仕事にしてしまえば四六時中そのことを考えていられるから、という完全に私利私欲な思いから。だから、取材先に「記事にしてくださってありがとう」などと言っていただけると、なんだか不思議な感覚になる。私のほうがありがとうだよ!!! みたいな。こんな素敵なお店を、長い間保ち続けてくださってありがとう、と。

ただ、「仕事」にしてしまうと、趣味として楽しんでいた時とは違う責任も生じてくる。最近はプライベートで純喫茶に行くときに、仕事のことがなんとなく頭に浮かんでしまって、純粋に楽しめていないような気持ちになるようなこともあった。

『純喫茶コレクション』で、それぞれのお店に添えられている難波さんの文章を読んだら、ただ好きで通っていたころの昔の感覚がよみがえってきた。
「ここ行ってみたいんだよね」とか「このお店は知らなかった!」とか思いながら、Googleマップで管理している行きたいお店リストに追加したりして、とにかく楽しい。そうだ、こんな気分になりたくて純喫茶に通ってたんだ、と改めて感じた。

今日、近所の行きつけの純喫茶に行った。そこは、ゴージャスなシャンデリアや写真映えするメニューはないけれど、私にとってはすごく居心地のいい場所だ。お店の人とたまに会話をして、コーヒーをすすってぼんやりする。幸せだなぁ、と思った。

初心にかえろう、自分を見つめ直そう……みたいな気持ちになった時に読み返す本、というのが自分の中でいくつかあるのだけど、『純喫茶コレクション』もそのラインナップの中に入れることにした。気持ちがざわざわしだしたら、この本を持って純喫茶に行こうと思う。

浅草出身のライター。「レトロ」を軸に執筆活動を展開。「和樂Web(小学館)」「びゅうたび(JR)」など各種メディアにて、明治〜昭和の喫茶店文化や食文化にまつわるコラム、レトロスポットの取材記事などを執筆。当Webマガジン「てくてくレトロ」主宰。