現存する日本最古の喫茶店「銀座カフェーパウリスタ」で伝統のコーヒーを堪能

「現存する日本最古の喫茶店」と聞いてピンときた人は、きっと純喫茶が好きな人だと思う。
そのお店の名は、銀座カフェーパウリスタ。

日露戦争からの帰還兵の失業問題が深刻化する日本、そして奴隷解放によって農園の働き手を失ったブラジル。双方のニーズが一致し、日本からブラジルへの移民政策が始まったのが、1908年のこと。

その移民政策に携わったのが、1911(明治44)年に銀座カフェーパウリスタを創業した水野 龍(みずの りょう)氏です。
水野氏は、ブラジル・サンパウロ州政府からの珈琲豆の無償提供を受け、カフェーパウリスタをオープンしました。

日本の喫茶店文化の発展を語る際に、欠かせない存在であるカフェーパウリスタで、伝統の味を堪能してきました。

現存する日本最古の喫茶店|銀座「カフェーパウリスタ」

銀座の「カフェーパウリスタ」は、日本に現存するもっとも古い喫茶店。
レトロな喫茶店が好きな人にとっては、一度は行ってみたいお店なんじゃないかな? と思います。

お店に伺う前に、カフェーパウリスタの主力商品「森のコーヒー」のコーヒー豆をお取り寄せしたのですが、今回やっと銀座の店舗に伺うことができました!

【お取り寄せ】銀座・カフェーパウリスタ「森のコーヒー」でおうちカフェを楽しむ休日

店名の「パウリスタ」は、ポルトガル語で「Paulista=サンパウロっ子」という意味。星の中に女性が描かれているこのロゴは、サンパウロ州の市章を模しています。

パウリスタを創業した水野龍氏は、日本人のブラジル移民政策に尽力したことで知られる人物。
水野氏は移民政策で功績をあげたことで、ブラジル・サンパウロ州からコーヒー豆を無償提供されました。それがきっかけで、パウリスタをオープンしたそうです。

パウリスタの歴史やパウリスタに通っていた著名人の話などは、『カフェーパウリスタ物語』という本に詳しく書かれています。ご興味あればぜひ。

歴史を感じる店内はくつろげる雰囲気|銀座「カフェーパウリスタ」

「カフェーパウリスタ」の入口付近には、コーヒー豆や書籍などを販売するコーナーがありました。お取り寄せした「森のコーヒー」も並んでいます。

棚には商品と並んで、開業時の広告や昔の写真なども飾ってありました。

広告に小さく書かれている開業時のカフェーパウリスタの住所は、「京橋区南鍋町二ノ一三(2-13)」。これは、現在の「銀座七丁目七番一号」にあたります。今のカフェーパウリスタがある場所(銀座8丁目9−16)からは、歩いて5分くらいです。

オープン当初の店舗は、関東大震災の時に全壊してしまったそう。その後しばらくはコーヒー豆の卸売業にシフトしていましたが、1970年にこの地に再オープンしました。

キャメル色の革張りのソファーが落ち着いた印象の店内。
壁には、コーヒー農園で働く人を描いた銅版画が飾られています。インテリアにも、移民政策に携わった水野氏のエッセンスが色濃く残っていますね。関東大震災を経て店舗が新しくなっているとはいえ、店内のそこかしこに歴史を感じました。

純喫茶の中には照明を暗めにしているお店も多いですが、パウリスタの店内は比較的明るいです。照明が暗めのお店、落ち着けるから好きなんですけど、本を読んだり仕事をしたい時には文字が見えなくて困ることも……。

カフェーパウリスタは新橋に近いこともあってか、ビジネスマンが打ち合わせをしている光景も見られたので、そういったニーズに合わせて明るめの照明にしているのかな? と思いました。

伝統の味・パウリスタオールドを味わう|銀座「カフェーパウリスタ」

今回は、カフェーパウリスタ伝統の味である「パウリスタオールド」をオーダーしました。

パウリスタオールド(税込680円)

ロゴ入りのカップがかわいい!
こちらは、創業当時のデザインを復刻したものだそう。ロゴも創業時からずっと同じものなんだとか。

お取り寄せした森のコーヒーは酸味がやや強かった気がしましたが、パウリスタオールドはけっこう苦味が強い印象でした。甘くてこってりしたケーキと合わせたい感じのコーヒーです。

カフェーパウリスタは、永井荷風が編集主幹となって創刊された『三田文学』という文芸誌のメンバーの溜まり場になっていたそう。森鴎外、谷崎純一郎、芥川龍之介もパウリスタに来ていました。

昭和に入ってからは、ジョン・レノンとオ・ノヨーコもカフェーパウリスタに訪れたことがあるそう!
東銀座にある喫茶店「樹の花」にも2人で訪れていたみたいなので、きっと2人とも喫茶店が好きだったんでしょうね。

時を超えて、パウリスタに訪れた著名人たとと同じコーヒーを飲んでいる……と思うと、なんだか感慨深くなります。

ジョン・レノンとオノ・ヨーコが訪れた東銀座の喫茶店「樹の花」でビートルズを聴きながらコーヒーを

日本にコーヒーを普及させた立役者。銀座「カフェーパウリスタ」の歴史

パウリスタを創業した水野氏は、ブラジル・サンパウロ州政府からコーヒー豆を無償で提供してもらっていたと解説しましたが、なぜタダでもらえたんでしょうか?

それは、移民政策の赤字を補填するため……というのが表向きの名目。それに加えて、生産過剰でコーヒー豆が余っていた、というブラジル側の事情もありました。

「市場に出せないコーヒー豆を無料であげるので、日本にコーヒーを普及してね」ということで、サンパウロ州政府は水野氏にコーヒー豆を無償提供。水野氏はコーヒーを日本に広めるべく、カフェーパウリスタをオープンします。

当時コーヒーは高級品だったので、従来は限られた特権階級の人たちだけが飲むものでした。それを、一般市民も手が届くくらいの金額で出した最初のお店が、パウリスタです。そこから、幅広い層にコーヒーが普及していきました。

散歩の途中で休憩したい時、仕事で疲れてちょっと息抜きしたい時……思い返せば、「喫茶店があってよかった」と思ったことは、たくさんあります。

日々変わる新型コロナの状況により、お店に足を運ぶのが難しいタイミングもありますが、なるべくお店に行ったり通販でコーヒー豆を購入したりして、好きなお店を応援したいな、とあらためて思いました。

【店舗情報】アクセス、禁煙/喫煙|銀座「カフェーパウリスタ」

※銀座「カフェーパウリスタ」は【全席禁煙】です。

※参考
『日本で最初の喫茶店「ブラジル移民の父」がはじめた―カフエーパウリスタ物語』
銀座カフェーパウリスタの歴史
Wikipedia|カフェーパウリスタ

浅草出身のライター。「レトロ」を軸に執筆活動を展開。「和樂Web(小学館)」「びゅうたび(JR)」など各種メディアにて、明治〜昭和の喫茶店文化や食文化にまつわるコラム、レトロスポットの取材記事などを執筆。当Webマガジン「てくてくレトロ」主宰。